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君は「会津博_1967」を見たか:その4:展示館モロモロ

歴史

昨日のつづきで、会津博(昭和42(1967)年開催)の各館構成のうち、私が個人的に興味を持った展示館を列挙する。例によって引用元は大著「福島民友新聞百年史」である。

会津博_1967の各館構成:その2

戊辰白虎館

戊辰戦争から百年目ということで、「会津藩の悲劇を象徴する白虎隊」のいろいろを展示した、メインの展示館だったようだ。

なんと、「白虎隊自刃(じじん)の場の実物大ジオラマ」があったらしい。会津に生まれ育ち、「白虎隊はもうお腹いっぱい」な私であるが、そのジオラマはちょっと見てみたい。

オート館

オートバイの全メーカーが参加し、最新の車種が並んだ。
一度は風を切って走ってみたい ― そんな若者たちの人気が集中し、エンジン音が響き渡る館

-福島民友新聞百年史:昭和・中期編:6 会津博覧会の大成功

ホントかよ?と思う記述である。「エンジン音が響き渡る館」って、建物の中で、当時2ストロークが主流であったはずのオートバイのエンジンをかけてたの? ウソでしょ。かなりマユツバモノである。

ちなみに、今も昔もオートバイメーカーのメインキャスト=ホンダで言うと、昭和42年当時はこんなマシンであった。まあこの程度なら、エンジン音もたいしたことはないだろうけど・・・

▼HONDA ベンリィCS125
http://www.bbb-bike.com/review/photo/02819.jpg

出典:www.bbb-bike.com

それにしても、昭和42年である。「オートバイの全メーカー」って言っても、国内には主要メーカーが4つしかない現代と違って、Wikipediaに「戦後に存在したメーカー/ブランド」として載っているだけで、これだけのメーカーがあったのである。1960年代後半ということで、国民の”アシ”はオートバイからクルマに移行してから久しく、これらのメーカーの多くは既に倒産していたか、二輪車製造から撤退していたとは思うが・・・

はたして、いくつのメーカーのオートバイが展示されたのであろうか。

ロボッカー試乗コーナー

ロボットのプラス坊やなど、リモコンで操作する車がたくさん集められ、子供が乗り、親がリモコン運転して人気が集中した。

-福島民友新聞百年史:昭和・中期編:6 会津博覧会の大成功

そもそも、「ロボッカー」や「ロボットのプラス坊や」とはナニモノなのだろうか。会津博のオリジナルキャラクターだろうか。「福島民友新聞百年史」には、その辺りの解説がまったくないし、ググったところでそれと思しき情報がまったくヒットしないので、真相は藪の中である。
何か情報をお持ちの方は、ふるってコメントください。

また、ここで言っている「リモコン」とは、無線ではなく有線方式のものだろうか。私がモノゴコロついた1970年代前半、オモチャの”コントロールカー”というと、いわゆる”ラジコン”ではなく、ほぼ全てがコントローラーとクルマがケーブル/コードでつながれており、それを”リモコン”と称していた。

ちなみに、会津博の3年後に開催された国民的一大プロジェクトである大阪万博では「ワイヤレステレホン」が大人気だったそうだが、その実 ”ワイヤレス”だったのは、「電話機」と「天井に据え付けられたアンテナ」の間のわずか数メートルだったのである。

それらを考えると、ここで書かれている「子供が乗り、親がリモコン運転して」とは、はたしてどのようなモノだったのか、非常に興味深い。
この件についても、何か情報をお持ちの方は、ふるってコメントください。
(※なお、コメント登録には「はてな」のアカウントが必要です)

防衛機器野外展示

ジェット機二機、戦車三台、このほか各種の防衛機器をずらりと展示し、防衛について考え合う展示場として構成した。

-福島民友新聞百年史:昭和・中期編:6 会津博覧会の大成功

昨日のロケットのところでも書いたが、この博覧会の開催地は東京でも大阪でも名古屋でもなく、会津なのである。戦車は、大型トレーラー(おそらくこの当時は既に存在していただろう)で運べるだろうが、「ジェット機二機」はどうやって鶴ヶ城城跡まで運んだのだろう?。
零戦二一型のように、両翼の端っこを折りたためるジェット機だったのだろうか。それとも、自ら飛んで鶴ヶ城城跡に着陸したのだろうか(んなわきゃない)。ナゾだ。

それにしても、ジェット機や戦車が並べてあるのを眺めるだけで、どうやって「防衛について考え合う」のかは疑問である。「福島民友新聞百年史」も、記述がテキトー過ぎやしないか。

まあそれはともかく、いままさに、わが国の防衛は分水嶺を迎えている。当時の「防衛機器野外展示」を見て「防衛について考え合った」会津人たちは、ブログでもTwitterでも2ちゃんでも何でもいいので、ぜひ何らかの発言をして欲しい。

林業館

会津は林業王国であり、木材のさまざま、きのこなど林産品のさまざまを展示。
森林と動物など、自然環境を守る展示も多くの人の関心を呼ぶものとなった。

-福島民友新聞百年史:昭和・中期編:6 会津博覧会の大成功

「森林と動物など、自然環境を守る展示」とは具体的にどんなモノなのか、表現が抽象的過ぎて皆目見当が付かないが、ちょうどこの年の8月に「公害対策基本法」が施行されたので、もしかすると時機的な理由で「多くの人の関心を呼ぶものとなった」のかもしれない。

そんな史実はともかく、私個人がなぜこんな展示館に興味を持ったかというと、今は亡きウチのおくふろさんが若い頃から定年までずっと営林署(坂下営林署)勤めだったからである。

坂下営林署は小学校からの帰り道の途中にあり、小遣いをもらうために寄ったときの職場の光景は、いまでも鮮明に覚えている。

「営林署には20代から勤めていた」と聞いたことがあるので、当然会津博のとき(彼女は当時35歳)もそこで働いていたはずである。

おふくろさんは営林署勤めの頃、福島や栃木にある他の営林署にときどき出張に行っていた*1。なので、この林業館には行ってアタリマエのような気もする。もし行ったのであれば、どんな博覧会だったのか、ぜひ聞いてみたかった。

「会津博」の史実を知るのが、6年遅かった。心から残念に思う。

(つづく)

*1:特に、栃木の矢板営林署(当時)にはよく行っていたので、いまでも矢板ICを通過すると、おふくろさんのことを思い出す