「三井アウトレットパーク」とやらに初めて行った
最近かみさんが「どこかに連れてけ、連れてけ」とテケテケうるさいので、しばらく黙らせるために、しかたなくクルマで出かけることにした。
ま、出かけたって言っても、ぜんぜん”近場”なんだけど。
三井アウトレットパーク多摩南大沢
南大沢(東京都八王子市)に来たのは、十数年ぶりである。
このクソ暑い中、人はなぜわざわざこんなところに来るのだろうか。
服なんてネットで買えばいいじゃん、と私なんかは思うのだが、服や買い物そのものが好きな人達は、いろいろなブランドの実際の”モノ”が、一遍に見てまわれるのが楽しいのだろう。
服にも買い物にもまったく興味のない私にとって、この空間は退屈を通り越して苦痛以外のナニモノでもなかった。
ま、かみさんのご機嫌をとるため、「ガマンガマン」である・・・それにしてもクソ暑い。
こうして写真を見るとほとんど人がいないが、なるべく人がいないところを狙って撮っているだけで、実際は結構な人出であった。
遠路はるばる、南大沢くんだりまで来たので、「Fukuske Outlet」でステテコを買ってもらった。ここ福助のステテコはなかなか快適である。税抜800円で、この快適さはうれしい。ポケットが付いていないのであくまで”下着”的な扱いだと思うが、快適さだけを比較したらUNIQLO製のものより上である。
わざわざ南大沢くんだりまで来たのに(しつこい)、多くの場所が改装中だった。「できたばっかりっぽいのにもう改装中?」と思ってWikipediaで確認したら、オープンは「2000年9月」だった。そんなに昔からあったっけ・・・?
南大沢駅前で思う
南大沢駅前は、驚いて腰を抜かすほど(大げさです)変貌していた。昔の閑散とした様子しか知らない私にとっては、信じられない程に人も多かった。
私は、1987年、この駅をまだ作っているとき、その工事現場に数回アルバイトに来たことがあるのだ。
▼多摩ニュータウン通り。今は「コンクリートの中に緑が添えられている」という感じだが、昔はこの道路だけが”山の中”をどーんと貫いていて、「緑の中にコンクリートの線が1本だけ引かれている」という感じだった。
ひとつ強烈に覚えているのは、「田中商店」
南大沢駅が開業してからも、しばらくは駅前には何もない、寂れた駅であった。
1988年(昭和63年)5月21日に南大沢駅は開業した。
しかし、駅開設直後は駅周辺には何もない更地ばかりの状況だった。そこにあったのは「駅前の歩行者専用道路のデッキと雨避けのアーケードだけが目立つ」という様相で〔後略〕
アウトレットモールのような”集客装置”を作れば、こんな東京の片田舎にも人は集まってきて、街も駅前も大きく変わる。東京だけが、どんどん巨大化していく。
多摩センターに寄って帰る
南大沢で買い物を済ませた後、多摩センター駅前にも寄ってみた。
約十数年ぶりに来た多摩センター駅前は、南大沢と違ってそれほど大きくは変わっていなかった。
川崎に引っ越した2000年8月までは、ここに2年近く住んでいたのである。夫婦ふたりで来たのは、引っ越して以来初めてだ。
帰りは、昔住んでいたクサレマンションに寄って、オネカンを通って帰った。
川崎には「緑」というものがまったく言っていいほどないが、多摩地区は昔と変わらず、緑にあふれていた。ただ、「また住みたいか?」と問われると、”Yes”とは答えない。都心まで遠すぎるし、緑が多すぎるのもかえって違和感がある。都市生活者に緑は不要なのである(笑)。閑話休題。
私はただ退屈で、ただ暑さにヘバっていただけだったが、かみさんは買い物中はもちろん、車内でもどこかうれしそうだった。
- わたし「道せまっ! フェラーリだったら通れねえじゃん!」
- かみさん「フェラーリなんか買えねえから心配すんなよ!」
車内での、いつもどおりのくだらないボケとツッコミも楽しかった。
「近場でもいいから、ときどきはこうして二人で出かけるのも悪くない」そう思うのであった。