映画「翔んだカップル (1980)」を観た

ある朝、目が覚めると、なぜか映画「翔んだカップル」のワンシーンが頭に浮かんだ。主人公である薬師丸ひろ子・鶴見辰吾と、脇役である尾美としのり・石原真理子(当時)がダブルデートするシーンだ。

(ひさしぶりに観てえなあ・・・そうだ、DVD出てねえかな・・・)



 

アイドルとしての薬師丸ひろ子

薬師丸ひろ子は、私のいちばん最初のアイドルであった。中学2年の頃だったと思う。それまで、特撮モノとアニメにしか興味のなかった片田舎のクソガキが、突如としてブラウン管の向こうの「異性」に目覚めたのだ。

きっかけは、「カルピスソーダ」のCMだった。

何に惹かれたのかはまったくわからないのだが (いま当時の写真を見ても、とりたててかわいいとも思えない)、ま、女性を好きになるのに理由はいらないだろう。

そんな感情のベクトルは「好きになった女性の映像を記録したい」「そしてその映像を繰り返し何度でも観たい」という方向に向かったが、哀しいかな、実家には「ビデオデッキ」という、当時まだ最先端のAV機器がなかった。決して貧乏ではなかったはずだが、両親の教育方針(笑)か何かだったのだろう。「ビデオ買ってよ」という私の願いは頑として聞き入れてもらえず、また、最先端のAV機器が中学生の財力で買えるはずもなかった。

しかたなく、親父の一眼レフ (オリンパスの往年の名機「OM-1」) で、テレビ画面に流れるCMを“連写”した。もちろん、「モータードライブ」なんて便利な装置は付いていない。完全なる“手動”による撮影である。

「現代っ子」にはわからないだろうが、当時の“アナログ”一眼レフには「フィルム」というものが入っており *1、シャッターを切る度にいちいちレバーでフィルムを巻き上げる必要があったのだ。それを自動でやってくれる装置が「モータードライブ」なのだが、それもまたビデオデッキ同様、ガキの小遣いで買えるような代物ではなかった。f:id:ToshUeno:20170115223655j:plain
このCMが15秒だったのか、それとも30秒だったのか、あるいはスポットCMかスポンサーCMだったのかもまったく記憶はないのだが、テレビの前に鎮座してCMが流れるのをじっと待ち続け、いざCMが始まったら、テレビ画面に向かって必死コイてシャッターを切った・・・そんな当時の少年の気持ちを思うと、コッパズかしくもあるが、どこかいじらしい。

当時は、ナニゴトにも一生懸命だった。「どうしてあの気持ちのままオトナになれなかったのだろう?」と未だに悔いる私は、今年とうとう50歳になってしまう。

 

映画「翔んだカップル」について

ずいぶん前置きが長くなってしまったが、「翔んだカップル」は、「セーラー服と機関銃」で大ブレイクする前に薬師丸ひろ子が初めて主演した映画である・・・という説明は往年のファンであれば不要だろうが、例えば「あまちゃん」における鈴鹿ひろ美役など、すっかり「大物女優」の雰囲気を漂わせる彼女しか知らない世代には、そのタイトルさえ聞いたことがないという人も多いことだろう。

「翔んだ」という表現はもはや死語だと思うが、今風?に言い換えれば、「“プチ”ファンキー」とでもなるだろうか。不動産屋の手違いから同棲することになってしまった高校生の男女が、ひとつ屋根の下でじゃれ合いながら、時にはいがみ合いながら、淡くほのかな恋心を育んでいく・・・そんなオハナシである。

「シェアハウス」と称して若い男女がひとつ屋根の下に集団で暮らすことが珍しくも何ともない現代では成り立ちにくいプロットだろうが、この映画が公開された80年代前半は、「同棲」という行為にはまだ「後ろめたさ」があった。

私がこの映画を初めて観たのは、そんな80年代前半、「カルピスソーダのCM」が1981年なので、現在Wikipediaで確認できる「公開日=1980年7月」よりもずっと後のこと・・・うっすらとした記憶によれば、「ねらわれた学園 (1981年7月)」で薬師丸ひろ子人気に火が付き始め、それに便乗した田舎の映画館が前作「翔んだカップル」を上映したように思う。それが地元=会津坂下町唯一の映画館「坂下銀星座」だったか、当時の私にとっての大都会(笑)=会津若松市の映画館であったかは記憶が定かでない。

当時の中学2年生は、この映画がいたく気に入った。もちろん、「主演=薬師丸ひろ子」という要素がお気に入り理由の90%を占めていたことは言うまでもないが、ストーリー自体もおもしろいと思った。上述のとおり実家にビデオデッキがなかったので *2、しかたなくサントラ盤を買った。原作の漫画も、「大人買い」して一気に・・・はさすがに無理だったので、数回に分けて全部揃えた (全15巻)。

そして、映画館で観てからだいぶ後にはなるが *3、「翔んだカップル」がテレビで放送されたときには、やはりブラウン管でカメラを構えたのだった。
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キャプションごとの名シーンをキッチリ抑えている当たりは「さすがオレ」と思うが、テレビのフレームが写り込むのを嫌うあまり肝心の顔が見切れてしまったり、露出を間違えて白飛びしてしまっているのが残念である。

 

「花」を失ったおっさんにとっての「翔んだカップル」

1983年のテレビ放送の後、実に33年ぶりに観た「翔んだカップル」は、ヒトコトで言ってしまえば「退屈な青春恋愛映画」であった。

   孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。 

と、坂口安吾は書いた (「恋愛論」)。まったく以て同感だが、大抵の人間はある時期から、「花」ばかり追い求めると人生の路頭に迷うことになる。(ごく一部の例外を除いて) 恋愛は、若者だけに許された特権なのだ。その特権を失った人間達は、孤独という「ふるさと」に帰って行く。

そんな「ふるさと」を安住の地にして久しいおっさんは、「翔んだカップル」のプロットに何らの昂揚も見出すことはできなかった。だって、実際いっしょに暮らしたからってねえ・・・別にどうってこともないじゃん?

ただ、ひとつひとつのシーンを取り上げれば光るものがあるのは、監督・相米慎二の面目躍如といったところだろうか。

  • 住宅街の坂道を自転車で駆け下りるシーン
  • 文化祭の“等身大”モグラ叩きシーン
  • 杉村秋美 (石原真理子) の自宅で田代勇介 (鶴見辰吾) と山葉圭 (薬師丸ひろ子) が修羅場を繰り広げるシーン

・・・それらのシーンを通して、「やっぱ青春っていいよなあ」という感慨に浸ることはできる。

また、稀代の名セリフ「寄り添うように生きるのって、ステキなことよね」に代表される、脚本・丸山昇一のセリフ回しもいい。「オロカね」「ほとんどビョーキじゃない」など、今となっては古くさいが、時代の気分をよく捉えていて懐かしい。

そして何を差し置いても、この映画の見所は「薬師丸ひろ子」である。まるで「恋は盲目」状態で写真集やレコードに小遣いのほとんどを“投資”していたガキの頃とは違って、いま冷静になって見ればそれほどかわいいとも思えないのだが、クライマックスシーンで見せたこの表情▼には、さすがのおっさんもドキリとさせられた。
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陳腐な表現をすれば「少女から大人の女に変わる間際の、危うげな心象風景」とでもなるだろうか、そんな心持ちが、彼女の眼差しに垣間見えるのだ。

こういう芝居ができるところが、80年代アイドル全盛期に「歌わないアイドル」として一世を風靡した由縁であるだろう。

(以上、敬称略)

 

翔んだカップルオリジナル版 (HDリマスター版) [DVD]

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*1:「写ルンです」は未だ現役だから、今日日のガキでもフィルムぐらいは知っているか

*2:当時VHSソフトとして「翔んだカップル」が発売されていたかどうかはわからない

*3:アルバムの手書きのメモには「1983年7月30日(土) 午後9時 FTV」とある