アイドルの時代(2):70年代(2)
前回のつづきで、記憶に残る70年代アイドルをふり返る。
麻丘めぐみと車イス
当時もうひとりよく覚えているのは、麻丘めぐみ。車イスでステージに上がっているのをテレビで見たのが鮮烈な記憶として残っている。それを見て「かわいそう」と思うと同時に「かわいい」と思ったことまで、よく覚えている。
彼女が車イスに乗っていたのは桜田淳子のデビューより前の話かと記憶していたのだが、
いつみても波瀾万丈:麻丘めぐみ年表
こちらの年表を見ると「1974年3月」とあるので、ほぼ同時期であった。
テレビ越しとは言え、「車イス」というものを見たのも初めてだったし、「弱々しいもの」に心惹かれたのも初めてであった。当時若干6歳。私自身もじゅうぶん弱々しかったのだが。
ピンク・レディーと女の子たち
ピンク・レディーの出現は片田舎の少年少女にも衝撃的であった。
「ペッパー警部」のキャッチーなメロディと意味不明な歌詞(作詞は当然、阿久悠先生)は当時小学3年生であった私も大好きだったし、運動神経がほとんどなかった私でさえ覚えやすい振り付けは、姉貴とふたりでよくマネをしたものである。
デビューの頃のピンク・レディーの映像を現代の感覚で見ると驚くほどエロい格好をしているが、当時はなんら違和感がなく、むしろ健康的なイメージでさえあった。ゆえに、男の子よりもむしろ女の子に人気があったと記憶している*1。
コトホドサヨウに、うちの姉貴は弟とピンク・レディーの振り付けをまねるだけでは飽き足らず、友達と(※決して私ではない)町の「のど自慢大会」に出場してピンク・レディーの「UFO」を(当然振り付きで)歌い上げたのである。
彼女にとっては確実に「黒歴史」だろうが、70年代後半のこの国においては、全国津々浦々で見られた「時代の風景」だったろう。
キャンディーズと年下の男の子
ピンク・レディーより少し前にアイドル界を席巻していたのはキャンディーズである。
だが人気があったのは高校生~大学生ぐらいの年代であり、私の年代にはあまり人気はなかったと思う。ちょうどひとまわり年齢が違っており、私たちにとってキャンディーズは「年上過ぎ」であり、キャンディーズにとって私たちは「年下過ぎ」であった(なんのこっちゃ)。
そんなわけで、昭和歌謡史に燦然として輝く「暑中お見舞い申し上げます」がいかに名曲であるかに気づいたのも、「あなたのイエスタデイ」や「オレンジの海」などのメジャーではない佳曲を知ったのも、キャンディーズが解散したずっと後のことだった。
70年代アイドル総括
70年代は、80年代に大輪の花を咲かすアイドル界がその礎を築いた時代であった。花の中三トリオが登場し、キャンディーズがブレイクし、ピンク・レディーが日本中を席巻した。
そんな頃に幼少期から少年期を過ごした、私たち昭和40年代前半生まれの世代はシアワセだ。なぜなら、「アイドル」というひとつの共通項で、同じ70~80年代という時代を”平和に”生き、そして成長したという意識を互いに共有できるからである。
まあ難しいことはともかく、70年代は、アイドル界も私たちもまだただの ”ガキ” であった。
(以上、敬称略)
(つづく)
*1:記憶を確認するために「”ピンク・レディー” ”女の子”」でググったら、全国各地のデリヘルサイトが大量にヒットした。これもまた、現代の縮図である。