2017年の墓参りツーリングはたいしたイベントもなく、書くこともないと思っていたが、故郷・会津坂下町の様子を書いたらそれなりのボリュームになってしまった。
最後の項では、日本海までの道中での出来事と「まとめ」について綴る。
会社の名前を背負っているくせに
会津坂下町立坂下中学校を後にしたのは、14時45分頃だっただろうか。昨年のように「下道をナビ無し」で行っていたのでは、日本海の夕暮れには間に合いそうにない。
国道49号の、右折すれば磐越自動車道・会津坂下ICにアクセスできる交差点。
バカデカいトレーラーが横のコンビニからムリヤリ道路に出たらしく、左側の2車線を完全に塞いで信号待ちしている。ジャマくさい。が、いい機会だ。右折して磐越道に入り、少しでも時間を短縮しよう・・・。
というわけで、会津坂下町内から初めて磐越道に入る。ただしソコは、基本的に片側1車線(対面通行)の「なんちゃって高速道路」である。追い越しのできない、自分のペースで走ることもできない、ただストレスが溜まるだけの道路である。
しばらくすると、2tトラックを先頭にした数台の車列に追い付いた。最初の追越車線区間で、乗用車達を追い越す。が、追越車線があまりに短すぎて先頭に出ることはできず、2tトラックの後ろに付いた。
すぐ後ろは、アート引越センターの4tトラック。前に入られたのがおもしろくなかったのだろう、ガンガンに煽ってくる。相当のスピードが出ているにもかかわらず、バックミラーでナンバーが見えない程の至近距離でビタ付けしてくる。どうやら頭のイカレたヤツが運転しているようだ。思いっきり会社の名前を背負っているくせに。
まああんまり頭のおかしいヤツが後ろにいる場合は、やむを得ず路肩を通って先頭に出ればいいのだが、そこはトンネルだらけの磐越道である。超濃色のスポーツサングラスでは、トンネル構内は光量が不十分で壁との距離感がいまいち掴めない。そんな状況で、命ガケでスリ抜けするのもバカバカしい。しかたなく、不愉快な思いに耐えながらしばらく走り続けた。
従業員数3,000人弱の大企業とは言え、会長が淫コウ容疑でパクられるような会社である(しかも未だに会長職に留まっている(驚))。
ましてやトラック運転手が不足している昨今、頭のイカレた人間が雇われていてもぜんぜん不思議ではない。今後、アート引越センターのトラックにはじゅうぶん注意することにしよう。
今年もまた、日本海には来たけれど
日本海へのツーリングは春の訪れ
ただでさえストレスフルなのに不愉快な思いまでしたので、新潟県に入ってすぐ、津川ICで磐越道をとっとと下りる。多少の時間は短縮できたが、日本海まではまだ遠い。夕暮れまでに間に合うかどうかは非常に心許ない。
例年はナビ機能は使わずに方角だけ間違えないようにして日本海を目指すのだが(そして決まって方角を間違えて遠回りするのだが)、今年は素直に日本海沿岸部の適当な場所を目的地にセットして、ナビに海まで連れて行ってもらった。まったく面白味はないが、辺りが暗闇に包まれた頃に日本海にたどり着くよりはマシである。
そして一度も迷うことなく(まあ当たり前だが)、スンナリと日本海までたどり着いた。
冬の間、オートバイでここまで来ることはできない(少なくとも私は)。オートバイでは、日本海側の豪雪地帯は越えられないからだ(少なくともM109Rでは)。
今年もまた、日本海まで来ることができた。陰鬱で退屈な冬が、ようやく終わったのだ。
オレンジが足りない
海岸線に陽が落ちるタイミングを気にしながら、国道402号を南下する。
それにしてもおかしい。4月13日の昼頃に確認した柏崎市周辺の天気予報は、
- 15日土曜日は「午後から曇り」
- 16日日曜日は「曇りのち雨」
それに対してこの日、14日金曜日の予報は「終日晴れ」であった。だからわざわざ有休を取ってツーリングに来たのに、空には厚い雲が立ち込めている。なんでだよ・・・。
ロングツーリングの幕開けを告げる、日本海沿岸を走るこのシチュエーションには、あのオレンジ色が必要だ。グレーの濃淡だけではダメなのだ。日本気象協会に完全に裏切られた。
まったく盛り上がりに欠けたまま、ひたすら南下を続ける。もしかして陽が沈む頃には、奇跡的に雲が散ってくれるかもしれない。
夕陽が日本海に落ちかける直前、「寺泊魚の市場通り」に面した駐車場にM109Rを滑らせる。田舎とは思えない程に土日祝日は人とクルマでごった返すこの駐車場も、金曜日はクルマが2,3台駐まっているだけであった。
駐車場にM109Rを置いて「中央海水浴場」を波打ち際まで歩く。
やっぱり、奇跡は起きなかった。
この「墓参りツーリング」では、去年も一昨年も日本海に沈むキレイな夕陽を拝めたのに・・・。
行き止まりの先には
その後も南下を続けながら、あきらめきれずに何度も停車して日本海にカメラを向ける。その横を、会社帰りだろうか、何台ものクルマが猛スピードで駆け抜けていく。
(もっとゆっくり走って海沿いの景色を楽しめばいいのに・・・無粋なヤローどもだな)
とは思うが、この人達にとってこの景色は日常的過ぎて、もう何とも思わないのだろう。なんてゼイタクなんだ。うらやましい限りだ。
すっかり陽も落ちて、海と空のグレーの濃淡が重なり始める。それでも、この期に及んでもまだ「海沿い」にこだわって、この地点▼で国道352号を右に逸れる。
(なんだよ行き止まりじゃん・・・)
行く手を阻まれたことに落胆しながらも、前方に広がる風景に遠い記憶が呼び戻される。
そうだ、以前たまたま通りかかった「島根原発」も、こんなふうにモノモノしい風景だったのだ。
(▼2014年9月27日撮影)
トグロを巻いた有刺鉄線と、防犯カメラと、「撮影禁止」の4文字の看板。
東京電力の今後の命運を握るとされる柏崎刈羽原子力発電所は、暗闇に包まれる間際の日本海の片隅に、ひっそりと佇んでいた。社会からの拒絶に必死に抗うその施設の不気味な様相を目の当たりにして、翌日もツーリングを続ける気力は完全に失われた。
(やっぱ帰るか・・・)
墓参りツーリング2017:まとめ
削げ落ちた贅肉コーティング
本当は新潟県・上越地方か富山県に泊まって、次の日もツーリングを続けるつもりだった。安モンのシートバッグには、カッパの他に次の日の着替えも入れてあったのだ。だが、想像以上に寒かったせいで、その気力が次第に失われていった。この日に見た最低気温は、関越道・湯沢IC付近の「7℃」。
陽が傾いて以降は、それ以外の場所でも寒くてしかたなかった。ほぼ完全な冬装備だったにもかかわらず、だ。
(4月って、こんなに寒かったっけ?)
ずっとそう思いながら走っていた。今年より5日早く出かけた去年の墓参りツーリングの記事を見ても、寒さに関する記述はない。
白河の桜も満開だったことから、去年の方が気温が高かった可能性もあるが、ひとつ加齢したことによって細胞が劣化したことと、さらにもうひとつの理由として、去年の7月末に酒をヤメてから一気に6kgも体重が落ちたことが挙げられる。
つまり去年は、6kgもの贅肉でコーティングされていたワケだから、そのぶん寒さを感じにくかったと思われる。
初めての圏央道
寒さに震えながら、関越道を南下した。
関越道上り線の最大のハイライトは、渋川伊香保ICの1km手前辺りで見える夜景である。高架から俯瞰で見下ろす人口8万人弱に過ぎない群馬県渋川市の夜景が、不思議なほど美しく見えるのだ。
街の中に視線を移すと、そこには小さな光がポツリポツリと灯っているだけの、ごくフツーの地方都市があるだけなのだが、眼下に広がる景色が広大なせいか、一種独特の趣がある。個人的には、例えば首都高速11号台場線から見える、「これでもか」と言わんばかりの圧倒的な都内の夜景に勝るとも劣らない。夜景というのもいろいろだなあ、と思う。
埼玉県に入ってようやく寒さが和らいだ。
戸塚に住み始めてから関越道で帰るのは初めてなので、(もしかしたら・・・)とは思っていたが、やっぱりそうだった。愛用のなんちゃってオートバイナビ=Panasonic謹製PND「Gorilla CN-G500D」が「鶴ヶ島JCTで圏央道に入れ」という指示を出してきた。埼玉方面から帰るのに、圏央道を通った方が近いとは・・・わかりきっていたことだが、戸塚はやっぱり田舎だった。
初めてまともに通る圏央道は概ね空いていて快適だったが、「沿線各所に物流の要衝を抱えている」とメディアで喧伝されているとおり、通行しているのはほとんどが大型トラックであった(もちろん「平日の夜だった」という条件もあったとは思うが)。
しかしまあ、なんで大型トラックっつーのは、2台並走して車線を塞ぐんだろうな?ジャマだっつーの。すぐに追い越せねえなら追越車線に出てくんな。ブレーキ踏めや。「プシューッ」ってやれや。
おっと、閑話休題。
圏央道から新湘南バイパス~国道1号を通り、まったくもってスムーズに帰宅。ただ、金曜の23時過ぎということでさすがに国道1号は空いていたが、土日祝日の夜であればソコは大渋滞区間である。であるなら、これまでと同じように都内(環八)を通って帰ってきた方がいいような気もする *1。
関越道を終点(練馬IC)まで走って環八の渋滞をスリ抜けるか。圏央道を通って国道1号の渋滞にツッコむか。悩みどころだが、選択肢が増えるのはいいことだ(と、思うことにしよう)。
走行データ
- 走行距離=855.1km
- 走行時間=14時間0分 ※Googleマップ-タイムラインに記録された時間
- 平均燃費=21.0km/L
(この項おわり)
*1:距離は環八経由の方が12km程短い(※Google マップ・ルート検索調べ)