ラジカセがいつもそばにあった頃(2):ラジカセと「まちの電気店」
しばらくの間、「GWツーリング」と「日産リーフモニター」の記事を続けてきたが、とうとうすべて書き終えてしまった。その間に他のネタを温めときゃいいモノを、何も考えてなかったので、だいぶ前に3分の1だけ書いた下書きを有効活用する。
誰にも何の役にも立たない、ただ個人的な思い出をツラツラと書き続けるシリーズ。
ただ、昭和40年代前半生まれであれば、同じような思い出を持っている人はいると思う。 たぶん。きっと。
SONY CFS-D7 ”SIR-Ⅲ”
「金融」「保険」に手を伸ばしていたお陰で企業としてはまだまだ安泰らしいが、「消費者をワクワクさせるAVメーカー」としての輝きは完全に失ってしまったSONYが、もっとも光り輝いていた70~80年代。
その「中心点=ピーク」である1979年にWALKMAN初号機とともに発売された、ラジカセのフラッグシップ機である。
操作機構にフェザータッチのロジカルコントロールシステムを採用し、メカニカルな感覚でまとめられた当時の高級機。
コントロールパネルは収納可能なシールドパネル構造で、デジタルチューナー・クロックタイマー機能を持つ液晶ディスプレイとドルビーNRシステムを当時初めて内蔵しました。
スピーカーの存在を主張した従来のモデルと差別化を図るかのように、パンチングのウーファー、グリル状のツイーターなど革新的なスタイリングとなっています。
さらに、以下の引用は個人の方のホームページからだが、この稀代のラジカセと、当時のラジカセという”カルチャー”が的確に表現されているので、心から敬意を込めて掲載する。
世の中はまさに大型ステレオラジカセ時代に突入していた。そんな時代に私が選んだのは、SONY CFS-D7、通称「SIR-III(サー・スリー)」と呼ばれる、業界初のロジカルコントロールデッキを装備した、超大型ラジカセだった。
この後数年のうちに各メーカのラジカセはどんどん巨大化していったが、オーディオシステムとしての完成度から言ったら、私はこの CFS-D7 がラジカセの頂点ではなかったかと思っている。
つまりそれ以降の巨大ラジカセは、ダブルカセットやスピーカ分離といったギミックに走り、ピュアオーディオの縮小版としての役割を失っていったと思えるからだ。
他にも個人のブログ等でこのラジカセについて言及している記事はあるが、当時と後年の記憶を混同したりして表現や時代考証が不的確なものが多い中、この方の最後の一文は「ホントそうだったよな~」と感心した。すばらしいレビュー記事である。
1979年当時・定価79,800円
そんな超高額商品をなぜ買ってもらえたかというと、当時おやじさんが
○○か□□か、どっちかやったら (=実現させたら)なんでも欲しいもの買ってやっつぉ ※会津弁
と、小学5年生の私に(酔った勢いかなにかで)言ったのである。
○○と□□の内容はかなり恥ずかしいのでここでは書かないが、小学5年の3学期で○○を、□□を同6年の4月に実現させ、OR条件ではなくAND条件で、おやじさんが出した”課題”を見事にクリアしたのである。
いまでこそ仕事上の課題は何らクリアできない私ではあるが、当時は「がんばればなんでもできる」を日々是実践していたのである。
町の電気店での鮮明な記憶
いまでも、あの日の光景ははっきりと覚えている。
1979年当時、会津坂下町役場の隣にあった東芝兼ソニー系の「まちの電気店」へ、おふくろさんとふたりで上述の超高級ラジカセを買いに行った日のことを。
おふくろさんが、まだ聖徳太子だった万券を8枚、店主に支払った瞬間のことを。
▼その電気屋さんはとっくの昔にツブれたけど、当時の建物は今もまだ残っている!
いまでは想像さえできないが、1970年代当時のわが国において電化製品を定価より安く売っていたのはダイエーぐらいで、大半の地方在住者は「まちの電気店」できっちり定価を支払っていたのである。
ま、そんな当時の社会的状況はどうでも良くて、とにかく、あれほどモノを買って(買ってもらって)うれしかったことは、後にも先にもない。
(つづく)