2017年2月19日・日曜日、一匹の迷い犬が拙宅の前でクルマに撥ね飛ばされた。犬は危篤状態のまま、心やさしい警察官の腕に抱かれてパトカーに乗せられていったのだが・・・。
その後日談。
横浜市保健所の迷い犬情報
2月22日(水)の朝、1件のURLと共にかみさんからLINEにメッセージが来た。
「これ、あの犬じゃない?」
URLをタップすると、「横浜市動物愛護センター:収容動物情報 (犬)」というサイトが表示された。
これ▲は、その当日に保存した画面ショットである。
ミニチュア・ダックスフントの下に、「写真の掲載はありません」と記された犬の情報がある。その属性は、どれも拙宅の前でクルマに撥ね飛ばされた犬と合致する。そして「その他」の欄には、痛々しくも「傷病動物」と記されている。間違いない。
私の見立てでは、あの犬はどう考えても助からなかったはずだが、このサイトにこうして情報が載っているということは、もしかすると運び込まれた動物病院の獣医が天才的名医で、その世界最高クラスの施術によって奇跡的に助かったのだろうか・・・。
安否は非常に気になったが、もともと電話嫌いな上に会社だとプライベートな電話をかけるスペースを確保するのもヒト苦労なので、保健所への電話はかみさんに任せることにした。
かみさんのコメントに涙する
そして昼になる頃、またかみさんからLINEにメッセージが来た。
「保健所に電話したよ」「もう亡くなったって」そう書いてあった。やっぱりそうか。そりゃそうだよな・・・。
さらに詳しい状況を確認すると、保健所に運び込まれた時には既に亡くなっていたそうだ。そこに書き添えられたコメントに、ついホロリとしてしまった。
でもあの様子だと、クルマの中で亡くなったよね
最後が、道路じゃなくてよかったと思う
あたたかいクルマの中だもん
詳細は冒頭に引用した2月20日の記事に譲るが、迷い犬は心やさしい中年警察官に抱き上げられてパトカーの後部座席に寝かされ、動物病院に搬送されて行った。拙宅の駐車スペースに寝かせていた時、既に心肺停止状態に陥っていたので、おそらくはパトカーの中で息を引き取ったのだろう。
かみさんの言うとおり、冬の凍てつくアスファルトや、同様に冷たい拙宅の駐車スペースではなく、エアコンで温められていたであろうパトカーの中で、最後の最後になってようやく人間のやさしさに触れながら亡くなっていったのであれば、それはあの迷い犬にとって、せめてもの救いであっただろう・・・と、思いたい。
古谷三敏さんの父親の話
小学校高学年の頃だっただろうか。いつ頃のことだったか、記憶がまったく定かではないのだが、新聞広告か何かに稀代のアットホーム・ギャグ漫画「ダメおやじ」 で有名な漫画家・古谷三敏さんのコラムが載っていた。その広告を転記したり、切り取ってスクラップブックに貼り付けるようなマメなガキではなかったので、出典はまったく残っていないのだが、おぼろげな記憶を頼りに書き起こしてみる。
僕の父親は、無口な人でした。気も弱かったのか、母親から小言を言われても黙っておとなしく聞いている、そんな人でした。
僕がまだ小さかった頃、自宅の近くの国道で犬がクルマに轢かれてしまいました。あたり一面が血の海で、内蔵も飛び出しています。通り過ぎる人たちはみな、「汚いね」「気持ち悪い」なんて言っています。でも誰も片付けようとはしません。僕もかわいそうだとは思いましたが、恐くてどうすることもできませんでした。
死んだ犬を見てずっと立ちつくしていると、仕事帰りだったのでしょうか、父親がひょっこり現れました。現れるなり、死んだ犬のところに駆け寄って、その内臓を拾い、死体を片付け始めたのです。たったひとりで、黙々と。
その背中を見たとき、初めて父親をかっこいいと思いました。こういう人間になりたいと、そのとき初めて思ったのです。
もともと記憶力がプアな上に40年近く前のことで文章自体はまったく覚えていないので、これは完全に私の“創作”である。文章表現の拙さはご勘弁願うとして、重要なのは
内臓が飛び出ている悲惨な犬の轢死体を、父親は誰に言われるでもなく率先して片付けた
という部分だ。この逸話は、当時の私にとってものすごく衝撃的だった。その行動に、犬という動物に対するとてつもない「慈愛」を感じたからだ。「慈愛」とは「慈しみ、深く愛情を注ぐ」ということである。
日曜日、警察官が立ち去ってリビングに戻った後で、私を慰めるようにかみさんが言った。
「これ、『国道沿いの家あるある』だから」
私は、古谷三敏さんの父親の話を思い出していた。今回の犬は外傷がなかったので、何の躊躇もなく抱き上げて拙宅の駐車スペースに連れて行くことができた。でももし、内臓が飛び出ているような悲惨な状態だったら、果たして私はそれを拾うことができるだろうか。そのとき、自称・犬好きの私の「慈愛」のほどが試されるわけだが・・・。
最後の姿を残す意味
横浜市動物愛護センターの「収容動物情報(犬)」ページで、拙宅の目の前で轢き捨てられた迷い犬が「写真の掲載はありません」となっていたのは、既に亡くなっていたからだ。かみさん曰く「死んだ写真は載せられないもんね」だそうだ。
ニュース映像でも死体が映り込んでいる箇所には必ずボカシが入ることからもわかるように、日本人はなぜか遺体の写真を嫌がる。
15歳の時に実家で飼っていた犬が亡くなった日の翌日、学校に行く前にその遺体にカメラを向けたら、母親に「そんなの撮んなくていいべした!」と会津弁で強く言われた。意訳すると「そんなの撮ってんじゃねえよ!」という意味である。
私はただ、いちばん最後の彼の姿を記録しておきたかった。その日の午前中にはもう、遺体は町役場に引き取られることになっていたからだ。犬小屋で使っていたタオルケットにくるまれ、庭に咲いていた花に囲まれた彼の最後の写真は、その日から35年が経とうとしている今でも大切に手元に置いてある。その顔は、ただ穏やかに眠っているように見える。
あの迷い犬は、どんな顔で亡くなっただろうか。最後の最後になってようやくやさしい人間に出会えたから、きっと安らかな顔をしていただろう。そういう遺体の写真は、掲載してもいいと個人的には思う。こんな意見には誰も賛同しないだろうが、「悼む」気持ちは「慈しむ」気持ちにも繋がるからだ。
不幸な犬猫の生涯を想う
すべての犬や猫が、どうか天寿を全うして欲しいと願う。
そのためには、飼い主さんたちには是非、きちんと犬や猫の面倒を見て欲しいと願う。具体的には、田舎ならともかく都市部においては、決してフリーな状態で外に出したりしないで欲しいと願う。今回の一件のように、クルマを運転している人間の中には、犬や猫を轢いても平気で逃げるようなヤカラが少なからずいるからだ。轢いて逃げるヤツは人間のクズだが、轢かれるような状態にしてしまう飼い主にも一定の責任はある。ましてや、犬や猫を平気で捨てる飼い主は、同じように富士の樹海のど真ん中にでも捨てられてしまえばいい。
あの迷い犬がどこから来たのかはわからない。あの日まで何をしていたのかはわからない。私が見た限りでは、まだ4、5歳といった感じだった。本来であれば、これから何年もずっと飼い主の顔をペロペロし、飼い主の傍を元気に走り回っていたはずだ。
でも何の因果か飼い主の元を離れ、腹を空かせながら冬の街をさまよい、あげくの果てに心ない人間によって無情にも轢き捨てられた。あの犬の生涯は、いったい何だったんだろうと思う。
私とかみさんに頭を撫でられ、そして何よりも、心やさしい神奈川県警の警察官に介抱されて、あの犬は死んでいった。最後に少しだけ与えることができた人間のやさしさが、せめてあの犬にとっての「手向けの花」にでもなれば、私自身の陰鬱で遣る瀬ない気持ちも少しは晴れるのだが。