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君は「会津博_1967」を見たか:その5:会津博_1967総括

歴史

ネタ元わずか7ページ

書いている本人と、唯一何度もコメントをいただいたwakumasaさん(いつもありがとうございます)だけが盛り上がった本シリーズも、出典が「福島民友新聞百年史」一冊の、わずか7ページちょっとしかないため、もうネタがない。 

よって、今回が最終回。

それにしても、私はこの博覧会はかなり興味深いと思うのだが、なんでいわゆる「歴史の1ページ」に残っていないのだろうか(「福島民友新聞百年史」の7ページには残っているけど(笑))。

まあ全国的に見れば、こんな福島県の一地方の博覧会が興味を持たれないのはわかるのだが、例えばこの会津ローカル出版社の現代史にさえ、カケラも触れられていないのである。

わかりやすい会津の歴史 幕末・現代編

わかりやすい会津の歴史 幕末・現代編

 

ちょっと、もったいなさ過ぎじゃないだろうか。 

会津博=昭和42年の人気ナンバーワン博覧会(※東日本限定)

会津博は、同じ昭和42(1967)年に東日本で開催された

  • 東北最大の都市・仙台市で開催された「東北大博覧会」
  • 北陸最大の都市・新潟市で開催された「新潟大博覧会」

の、名前に”大”が付いたいずれの博覧会よりも、多くの人を集めた。

入場者は五十四万九千六百四十一人に達し、この年に東日本で開かれた三つの博覧会(春に仙台市で開いた東北大博覧会、夏に新潟市で開いた新潟大博覧会*1、そして秋に開いた会津博覧会)では最多を記録した。

-福島民友新聞百年史:昭和・中期編:6 会津博覧会の大成功 

東北6県または北陸4県を”代表”した博覧会よりも、福島県の一地方に過ぎない会津の博覧会が、より多くの客を集めたのである。
これは結構驚くべきことではないだろうか。

東北新幹線も東北道も、もちろん磐越道も開通していない時代である。

例えば首都圏から博覧会場に向かう場合、当時は仙台市も決して交通の便は良くはなかっただろうが、会津はそれ以上に悪かったはずである(現代でさえ、仙台市に比べれば圧倒的に悪いのだから)。遠方からの来客は非常に限られていただろう。

それにもかかわらず、これだけの入場者総数を獲得したということは、「開催地が鶴ヶ城跡であった」ことが、理由のウエイトとして高かったのではないかと思う。

入場者は福島県内からを中心とし、隣接する南東北から北関東各県、それに東京都、千葉県、北海道など東日本全域に及んだ。

-福島民友新聞百年史:昭和・中期編:6 会津博覧会の大成功

まあ、「福島民友新聞百年史」には何の分析もないし、東北大博覧会と新潟大博覧会の入場者総数や開催期間さえ記されていないので、これはまったく私の「そうであって欲しい」という願望に近い憶測ではあるが。

最後に、お約束のミスコンなど

会津博の開幕に向け、ミス会津博とフェアガールの審査が八月十九日に行われた。

三次にわたる事前審査をパスした女性が会津若松市民会館のステージに立ち、柳家金語楼を審査委員長とし、歌手霧島昇、同渚ゆう子〔中略〕ら十人で審査の結果、ミスに地元会津若松市の松村ヒロ子、準ミスに会津若松市の橋本明美、郡山市の岩井クニ子が選ばれ、さらにフェアガール七人が決定した。

-福島民友新聞百年史:昭和・中期編:6 会津博覧会の大成功

▼ミス会津博とフェアガールの皆さん。f:id:ToshUeno:20150530004400p:plain
出典:http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/_files/00167444/21.6.1.pdf

けっこうハイレベルではないだろうか。特に中央のお二人は。
私が生まれた頃の大昔の会津にも、こんなキレイな人たちがいたんだなあ。

それにしても、写真向かって右端のジイさん(当時の市長?)を入れるぐらいなら、同左端にかすかに左腕の半分だけ写っている女性をフレームに入れて欲しかったと、この写真を撮影したカメラマンには(時を超えて)要望しておきたい。

(おわり)

 

*1:新潟博については「福島民友新聞百年史」には”大”は記載されていないのだが、当該博覧会をネットで検索するとほとんどが”大”を付けているので、あえて”改ざん”して引用する