三島由起夫先生の遺作本の値段に驚き、三島事件当時の世相をふり返る(3)
昨日に引き続き中川右介・著「昭和45年11月25日」から引用
三島事件当時、古本屋に勤めていた作家・出久根達郎氏のエピソードが、私のおふくろさんのような“ニワカ”三島ファンが事件直後に急増したことを端的に表現していて、非常に興味深い。
主婦らしき中年の女性が血相を変えて、店に飛び込み、「三島さんの本をみんなちょうだい」と言った。〔中略〕
主婦は、「三島さんの本は読んだことがないのよ」と言いながら、それら*1をひととおり、買っていった。しばらくして、また別の主婦らしき女性が「三島さんの本はない?」とやって来る。次から次へと、日頃、三島にも文学にも縁のなさそうな女性たちが、《あたかもバーゲン品をあさるかのように、夢中で買い上げていったのは驚きだった》と出久根は回想する。
-「昭和45年11月25日―三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃」 中川右介
事件は午前11時頃に発生し、お昼のニュースやその後のワイドショー等ですぐにテレビ報道されたので、それを見ていた主婦達がこぞって三島先生の著書を買いあさったらしい。
あの日、三島の本を買いあさって行った主婦について、出久根はこう書く。
《あの時の本は、持っているだろうか? いや、果たして読んだのだろうか。
一時的にせよ彼女を熱狂させた天才作家の死は、その後の彼女の人生に、どのような影響を及ぼしたのだろうか。
あの時の客たちに、その後の三島観を、そっと聞いてみたい気がする。もしかすると、その答えが、三島自決後の日本人の精神史であり、日本の真の姿かも知れないのである。》-「昭和45年11月25日―三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃」 中川右介
あまり引用ばかりすると怒られるかもしれないので、「昭和45年11月25日」からの引用はこのぐらいにしておくが、これはとても興味深いエピソードだと思う。
というのも、「昭和45年11月25日」について書いた本は以前からあって、例えば▼この本は発売当時に読んで、
(その4年後に亡くなるなんて当時は想像さえしてなかった)おふくろさんにもすぐ同じ物を贈ったのだが、この本の“登場人物”は有名人ばかりで、事件当時の庶民の様子までは描ききれていない。
なので、中川右介氏のこの佳作に描かれた一般庶民の事件への向き合い方はとても新鮮だったし、上述の「あの時の本は、持っているだろうか?いや、果たして読んだのだろうか。」という問いかけは、当時の庶民の三島先生および三島作品に対する捉え方を的確に表現していると思った。
これ▼は一昨日掲載した「豊饒の海」第三巻「暁の寺」に挟まっていた納品書。こんな物がまんま挟まってるなんて、おふくろさんも、この本読んでないんじゃないかなあ・・・
ちなみに「○営」は「営林署」って意味。ガキの頃、この浪花屋書店で「営林署の上野です」って言うと、“ツケ”で本を買うことができた(そんな坂下営林署も、浪花屋書店も、もうとっくの昔になくなってしまったが)。
それにしても、納品書に最初っから「昭和」って印刷されてるのが、いかにも昭和ではある。
三島事件後の各雑誌・増刊号
「おふくろさんの遺品」シリーズ第3弾。事件後に急遽発売された雑誌たち。
※一部衝撃的な写真がありますので閲覧にはご注意ください。
週刊現代
雑誌の内容を精査するガッツはないので、表紙と”グラビア”のみを掲載する。
この写真▼を初めて見たとき(10代前半)はビビったなあ・・・
芝居のディテールの細かさもスゴいが、写真の色調が、より一層シーンの”臨場感”を盛り上げている。
ちなみに今かみさんに見せたら「ホンモノ?」だって。んなワケねえだろ(笑)。まあ実際は、これよりも壮絶な死に方を自ら選ばれたわけだが。
週刊サンケイ
その「死に方」の「再現図」を表紙にしている。ちなみにこの雑誌は「SPA!」の前身。
そして、なんと!三島先生の最期の演説を収めた「ソノシート (フォノシート)」付き!画期的!
ただし再生して聞こえてくるのは、ほとんど”雑音”です。
中川右介著「昭和45年11月25日」によると、「現場では(演説の)声がはっきり聞き取れた」らしいが、当時の録音機材の性能の低さゆえなのか、まあそもそもがソノシートなので、音質は期待できるハズもない。
ちなみに表紙の「フォノシート」の「フォノ」の部分をマジックで塗り潰した跡があるのは、子供たち(主に私)がソノシートを見つけると手当たり次第再生する習癖があったから。それもおやじさんが大切にしていた「ステレオ(レコードプレーヤー部分が観音開きするヤツ)」で。
真実の程はわからないが、当時は(少なくとも我が家では)、「ソノシートはレコード針をダメにする」と信じられていたので、それを防止するためにおふくろさんが塗り潰したのだろう。後年、黒く塗り潰された部分をシンナーで”剥いだ”時、そのことに気づいて笑ってしまった。
一世一代の大芝居と昭和90年の日本
三島由紀夫・享年45歳。そして、三島先生がお亡くなりになってから、今年でちょうど45年。もしご存命であれば、今年で90歳。
三島先生は「昭和」と”タメ年”なので、つまり今年は「昭和90年」。
出久根達郎氏は、「一般の主婦達の後世の三島観が、日本人の精神史であり、日本の真の姿かもしれない」と書いた。そこで最後にもう一度だけ、中川右介著「昭和45年11月25日」から引用しておきたい。
「十一月二十五日」という芝居は、ほぼ全国民を観客にさせた。
まさに、一世一代の大芝居だった。
そして、三島由紀夫は実にいい観客に恵まれた。
-「昭和45年11月25日―三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃」 中川右介
私のおふくろさん(彼女は”主婦”ではなかったけど)もそうだと思うが、ほとんどの主婦達は、ただ「昭和45年11月25日」という一瞬の”芝居”に惹かれただけだったのだろう。おそらく、事件後大量に売れたというその著書は、ほとんど読まれていないと思う(文章表現が高度だしね)。
そして、あいかわらずの「ヨノナカバカナノヨ」状態な今の社会を見るにつけ、三島先生が一世一代の大芝居で訴えようとした「何か」は、結局ほとんどの日本人の”心”には届かなかったようだ。
(おわり)
*1:『若きサムライのために』等の三島先生の著書