さだまさし:指定券
アルバム「帰去来」の中の小曲
ガキ(小6)の頃、さだまさしのアルバムを買った(正確には、買ってもらった)。
- 私花集(アンソロジィ)
- 風見鶏
- 夢供養
- 帰去来
以上、買った、じゃなくて、買ってもらった順。
田舎の、本屋兼レコード屋(=おおみや書店)、または楽器屋兼レコード屋(=田村屋)で見つけた順に買ってもらったので、リリース順不同。
で、その「帰去来」に、「指定券」という曲がある。
出張中、おそらく久しぶりに新幹線に乗ったせいか、急に聴きたくなってYouTubeで聴いてみた。音源は持っているが、カセットテープとLPレコードなので、再生するハードウェアがないのである(笑)
まあほとんどの人は知らない曲だろうから簡単に歌詞の内容を説明すると、以下のとおり。
- 曲中の主人公(僕)が挫折か何かして田舎に帰る
- その駅に彼女(君)が迎えに来てくれた
- その「振り向いてくれた」「手を振ってみせた」情景を、「うしろ姿」を、
「指定券」として携えて田舎に帰っていく
当時は、”僕”を自分に置き換え、”君”を当時好きだった女の子に置き換えて、そのシーンを想像しながら聴いたり歌ったりしたもんだ。
左の頬だけで ひっそり笑った
このフレーズが大好きだった。
実際は田舎町から一歩も出ることもない、ただの小6のガキだったんだが。
やはり野におけ れんげ草
一番の歌詞は、さださんお得意の細やかな情景描写による叙情性のあるものなのだが、二番は一転して暗喩表現になる。
で、その二番の歌詞に、
やはり野におけ れんげ草
という歌詞がある。
よく聴いてた当時は、ガキながら「『適材適所』的なことなんだろうな」とはわかったけど、その本当の意味はよくわからなかった。
辞書ひいても出てなかったし、当時よく読んでいた「現代用語の基礎知識」にも載ってなかったしね(当たり前)。
今は何でも簡単に調べられる。本当に便利な世の中だ。
【やはり野に置け蓮華草の解説】
蓮華草は野に咲くから美しく見えるのであって、それを摘んできて家の中に飾っても調和せず、美しく見えないことから。
播磨(現在の兵庫県)の俳人、滝野瓢水が、遊女を身うけしようとした友人をいさめた句「手に取るなやはり野に置け蓮華草」から。
この句は、自然の中で咲く蓮華草が美しいのと同じように、遊女は色町にいてこそ美しく見えるという意味。
なんと、遊女を引き取ろうとしたヤツに「野暮なことすんじゃねえよ」って言った俳句だったとは。
この曲においては、「しょせん叶わぬ恋でした」ってことの喩えなんだろうか。
歌詞の意味を知り人生を考える
・・・それにしても。
やはり人は、
- 「自分がいるべき場所」を見つけられたヤツは幸せに生きられるし、
- それ見つけられなかったヤツは、死ぬまで苦労する、
ってことなんだろうか。
ガキの頃、この歌詞(俳句)の意味を深く知っていれば・・・
・・・いや、歌詞を肝に銘じられる程、立派な脳ミソは持ってねえか。