川崎ラプソディ (3):変わったこと、変わらないこと

長年住み続けた川崎での日々も、いよいよ今週が最後になってしまった。「川崎ラプソディ」第3回目は、現在住んでいる賃貸マンションとは今週金曜日でオサラバするので、その場所を晒しつつ、周辺の「変わったこと、変わらないこと」について書く。 

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賃貸マンションからの眺め

私が現在住んでいる賃貸マンションの7階に引っ越してきたのは、2000年8月の中旬であった。

まあ「7階建ての7階」なんて、昭和40年代ならともかく、21世紀の現代においては高層階でもなんでもなく、超高層マンションの上層階にお住まいの方々には「7階?ププッ」と失笑されるのがオチだろうが、それまで「4階」が最も高い住居だった私にとって、その眺めは格別だった。

半径3km以内の周囲に、高い建物があまりなかったということもある。遠い空の向こうには、横浜ランドマークタワーが3分の2ぐらい見えた。現在はJR南武線・矢向駅の近くに高層マンションが建ってしまって、タワーのアタマしか見えない。

2003年8月13日

入居当時はまだデジタルカメラを持っておらず、いま残っている写真の中でもっとも古いのは、入居から3年後のものであった。とは言え13年も前のことなので、現在とはいくつか違っているところもある。
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最大の違いは、この辺の住民なら (たぶん) 誰でも知っている「柳自動車ガラス店」の向こう側にガソリンスタンドがあったこと。この写真の時点では既に廃墟状態だが、引っ越してきた2000年8月当時はまだ営業していて、「冬は灯油買いに行くのに便利だなあ」なんて思っていた *1

その後あっという間に、冬を迎える前にツブれたけど(笑)。

2016年4月2日

喜びも悲しみも幾年月、時は巡り巡って2016年4月。住宅ローンの本審査が通って、引っ越すことを正式に決めた最初の週末、(この景色もそろそろ見納めだなあ)と感傷に浸りながら写真を撮った。

ガソリンスタンドがあった場所は、小さな住宅で埋め尽くされた。奥の方、多摩川沿いには高層マンションが3つも建った。
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多摩川沿いに高層マンションが建つ前の写真を探したが、「2003年8月13日」の写真のように、川沿いの方は構図から外した写真しかなかった。思うに、「(空以外は) 何も写らないから撮らなかった」ということなのだろう。

また、「ラゾーナ川崎プラザ」ができてから、遠藤町交差点に向かう国道409号 (府中街道) の、右折レーンの車列が延びたことも大きな変化のひとつだろう。

花火大会で貧富の差を思い知らされる

多摩川沿いの高層マンションが建つ前は、「大田区平和記念花火大会 *2」の花火がとてもよく見えたが、その特等席を奪い去るようにデカいマンションが3つも建って、低い位置に上がる花火はほとんど見えなくなってしまった。
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その一方で、明らかに多摩川沿いの高層マンションから撮影したと思われる写真をブログやツイッターで目にするようになった。それは同時に、まざまざと“貧富の差”を見せつけられる瞬間でもあった。

いわゆる「TD4」に建てられたくせに、この高層マンションの販売価格は、とても私のような貧乏人が手を出せる金額ではなかったからだ。

 

遠藤町交差点の歩道橋から鹿島田方面を望む

2003年8月24日

中央を走る国道409号の延長線上に霞んで見えるのは「サウザンド・タワー」という地上41階の高層マンションで、もうこの時は既に完成していた(竣工は2002年12月)。その左側に2つ並んでいるのが、バブル景気の真っ只中に建てられた「新川崎三井ビル・EASTWEST」。
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2016年4月27日

今朝、この写真▼のためにわざわざ遠回りして会社に行ったのだが、たいして景色は変わってなかった(苦笑)。
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ただ、「サウザンドタワー」と被っていてほとんど見えないが、その向こう側にもうひとつ巨大なマンションが増えている。

 

パークタワー新川崎

その新しい超高層マンションが、「パークタワー新川崎」である。 地上47階。
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階数を数えたわけじゃないが、遠目で見て「サウザンドタワー」より少し高くなっているので、外観はこれがほぼ「完成形」だと思われる。

多摩川の“外側”に、気づいたら出現していたザ・摩天楼「武蔵小杉」と比べてしまうと“地味”だが、この高層マンションが建ったことによって、周囲の風景は一変した。

以前は小汚い商店が建ち並ぶ寂れた商店街だったが、そのほとんどが立ち退かされ *3、歩道がキレイに整備されて、「ペデストリアンデッキ」なるものが設置された。
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そのペデストリアンデッキは帰宅時にたまに通るのだが、今でさえ狭い通路に多くの人が行き交っているのに(帰宅時間帯も新川崎駅に向かって歩いてくる人が結構多い)、今後このバカでかいマンションにワンサカ人が住みだしたら、歩きにくくてしょうがなくなるだろう。

ま、私がここを歩くことはもう二度とないだろうから、どうでもいいのだが。

 

変わらないこと

私が住んでいた16年8ヶ月の間、川崎市幸区の人口は増え続け、小さな建売住宅や、バカでかいマンションがどんどん増えていった。

ドラスティックではないものの、少しずつ変わり続けてきた街の一方で、変わらないものももちろんある。

関東三菱自動車販売(株) 川崎店

私が川崎市幸区に引っ越してきた2000年8月は、三菱自動車による最初の「リコール隠し」が発覚した直後であった。その時から今日まで、オリンピックの年ごとに繰り返されてきた、数々の不祥事を乗り越えながら、このディーラーはずっとここにあり続けている。

そして、今回の「燃費試験不正行為事件」である。

今日 (2016年4月27日)、私がこのディーラーの横を通ったのは19時20分頃であった。閉店時間のわずか20分後、いつもなら従業員がまだ残って忙しそうに働いている時間帯である。

今日はもうすっかりヒトケもなく、ひっそりと静まりかえっていた。
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もうやる気も、売る新車もないんじゃないだろうか。現場で一所懸命に働いている人たちは、虚しさでいっぱいだろう。アホな経営陣の犠牲になるのはいつも、組織の末端で必死になって働いている従業員と、そしてユーザーである。

今回の一件は、まさに“トドメの一撃”であり、このディーラーが「変わらないもの」であり続けられるか、瀬戸際であるように思う。

その一方で、今回の件で“トバッチリ”を喰った側でもある近所の日産ディーラー (日産プリンス神奈川販売(株)川崎幸店) が、営業時間を過ぎてもまだ煌々と灯りをつけて営業していたのが印象的だった。
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ちなみに、ガラスの向こう側の赤い「日産ノート」の場所には、つい先週まで「日産デイズ」が置いてあった。

「みゆきゴルフ」横の歩道の花壇

この花壇は、すぐ近くにある下平間小学校の児童や、区民の有志によって維持管理されているものである。
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私は「花言葉もわからないおバカさん」だが、帰り道にこの花壇の花々を眺めるのが好きだった。台風の後などは、荒れ果ててしまった花壇の様子に心を痛めたりもした。それは、この道を通る人達の心に少しでも潤いをもたらそうと、一所懸命に手入れをしている子供たちの気持ちがいつも伝わってきたからだ。

私はもう、ここを歩いて通ることはないだろうが、これからもずっと絶えることなく、この美しい花壇を守り続けて欲しいものである。

(つづく)

 

*1:当時はクルマもオートバイも所有してなかった

*2:この花火大会はしょっちゅう名称が変わる。2015年は「大田区平和都市宣言記念事業 第28回花火の祭典」という名称だった

*3:そのコギタナ商店街の一角を担っていた立ち飲み屋等は、一部まだ残っている