町医者に行って人生を知る
めずらしく会社を早退して、とある町医者に行った。
何がめずらしいかと言うと、早退するときの“後ろめたさ”がイヤなので、そんな思いをするぐらいなら、いっそのこと休んでしまうからだ。
今日もどうするか、出勤してから3時間ほど悩んだが・・・
思いやり
「早退する」旨のメールを、直近の仕事で関わっている10人以上(グループアドレス含む)に出した。
たったひとりの人が、「了解しました。お大事に。」というメールを返してくれた。私と同じ会社の人間からは誰からも何のリアクションもなく、私と同じ会社ではないその人だけが、たったフタコトだけの短いメールをくれた。それがうれしかった。
こんなちょっとしたことで、人間のちょっとした気持ちを知り、触れることができる。
インディアンが1本持っているのは「軽いヤリ」です。
その反対はなんだ? 言ってみろ。- 稀代の名作テレビドラマ「とんぼ」より
待合室の子供達を見て母を想う
そんなに早退がイヤなら、土曜日の午前中に行くという選択肢もあるが、土曜日のその医院は激混みで「3時間待ち(!)」も珍しくない。(どうせたいしたことはしないとは言え)貴重な休みを、町医者の待合室なんかでツブしたくはない。
(平日の夕方なら空いてるだろう)
そんな期待も虚しく、多くの幼い子供と、その付き添いの母親とで待合室はアフれかえっていた。“場違い”な空間の居心地の悪さにイラつく私とは対照的に、ほとんどの子供達は、母親とふたりきりで過ごす時間を楽しんでいた。
私は子供の頃「心臓に欠陥がある」と言われていたので、定期的に学校を早退して、母親と町の病院に行っていた。
小学2年のとき、母の自転車の後ろに乗りながら、
「今年、『三億円事件』の時効なんだって。『時効』ってなに?」
そんな話をしたことを、そのときの光景をふと思い出した。
私は、定期的に町の病院に行くのはイヤではなかった。母とふたりきりの時間を過ごすことができたからだ。病院が終わった後は、河原に花を摘みに行ったり、町の食堂に行ったりするのが恒例であった。そのときどきの町の風景や、そこで見た母の笑顔は、こうして歳をとった今でも私の大切な思い出なのである。
母は勤め人であった。今ではめずらしくもなんともないが、昭和50年代当時の田舎町では、まだごく少数派だった。今日の私と同じように、母は勤め先を「早退」していたわけだ。
母は、どんな思いで私を病院に連れて行っていたのだろうか。
母が生きているうちに、そんな話をしておけば良かった。
医療システムの効率の悪さ
1時間25分待たされて、ようやく巡ってきた診察時間は、わずか1分であった。
要は、医師に診てもらうことなどほとんどなく、ただ単に処方箋を作ってもらうだけのために、面倒な思いをして会社を早退し、1時間半近くも窮屈な待合室で時間をツブさなければならないのである。医療システムのこの「効率の悪さ」は、なんとかならないのだろうか。
もちろん病気の種類にもよるが、「一度もらった処方箋は3年間は有効」みたいな制度に変えてくれないものだろうか。
周囲に気を遣うことができない人間がハビコル世の中
診察が終わって待合室に戻ろうとすると、通路の3分の2を占有するほどのデカいベビーカーが、“どーん”と鎮座していた。
(ったく、ジャマくせえな)
とは思ったが、そこはいいトシこいたオッサンなので、スルーして横を通ろうとしたら *1、私のすぐ後に受付をしていた、私よりタッパのデカい30代後半ぐらいの男が向こう側から歩いてきた。
ただでさえ狭い通路が、ベビーカーによってヒトひとりがようやく通れるぐらいの幅に狭められていたため、当然すれ違うことはできない。
伏し目がちに向こう側から歩いている男に気を遣って、私は“道”を譲った。
男は、まったく何のリアクションもせず、私の横を通り過ぎた。そして、ベビーカーで通路を塞いでいた女は、その“障害”を1mmもズラそうともせず、スマホの操作に夢中になっていた。
今さらもう、人間というものの“良心”に期待はしていないが、もし私がその女なら、ベビーカーをたとえ数mmでも動かそうとするだろうし、もし私がその男なら、「すみません」と言いながら頭を下げて横を通るだろう。
“ヨノナカバカナノヨ”
阿久悠先生がそんな言葉を世に出してから、40年近い年月が過ぎた。
世の中は、ますます“バカ”になっていく。
医師という商売の効率の良さ
わずか1分に過ぎない“診察(笑)”の会計が1,060円(!)。領収証をよく見たら、保険点数がそれぞれ
- 初・再診料 282点
- 投薬 70点
と記されていた *2。
そもそも、「投薬」なんてされてませんけど? これはいったいどういうことなんだろうか。今度行ったら聞いてみよう。確実に(うわっ、このオヤジうざっ)と思われるだろうけど。
それにしても、たった1分の診察で「3,520円」もの売上である。時給に換算すると、「3,520×60=211,200円」である。そのうち、医師のフトコロにいくら入るのかはわからないが、なんと「効率の良い」商売であろう。
毎日毎日、のべつ幕無しにやって来るアカの他人と対面し、その場で症状に応じた判断を下し、スタッフ達に指示を出す。診療時間以外には「最新の医療」についての勉強もしなければならない。
ものすごく大変な仕事だとは思うし、高い対価を得るのも当然だとも思うが、翻って、月に300時間以上働いても家の1軒さえ建てられない自分のことを思うと、
「今度人間に生まれたときには、町医者になろう」
と心に決めるのである。
「そんな決意に何か意味があるのか?」と問われれば、これっぽっちも意味はないのだけれど。