今年、2016年もそろそろ終わろうとしている。
営業日の最後の3日間で最悪の出来事が起きて、到底ブログを書く気分でもないのだが、「最低でも一週間に1つ記事を書く」ことを自分に課しているので、他人には何の役にも立たない、自分のためだけに2016年回想録を書く。
こよみモード、惜しい!
ずいぶん久しぶりに「ブログの概要」を見たら、いつの間にか「こよみモード」なる機能が追加されていた。単月ごとのカレンダー表示に、その日にアップした記事のリンクが張ってあり、何月何日にどんなことを書いたか、ひと目でわかるようになっている。そしてその右側には、1~3年前までの同じ時期にアップした記事が表示されている。
(お、これは今年をふり返るのにちょうどいいな)と思ったが、「2016年2月」を表示しようとするとエラーになる。何度やってもダメ。「のちほど再アクセス」してもダメ。
せっかくいい機能だと思ったのに。残念だ。
今年最大のニュースは何と言っても「家を買ったこと」だが
個人的には、何と言っても今年最大のニュースは「家 (中古一戸建て) を買ったこと」だろう。
ちなみに去年の今頃は、家を買うどころか、引っ越すことさえ考えていなかった。引っ越すことを考え始めたのはたぶん2月の終わり頃で、余命も短いのに今さら賃貸もアレだから買っちゃうかって思って、かみさんに一週間ぐらいネットで検索してもらって、3月5日に内見に行って、3月12日には契約してしまった・・・
ということからもわかるとおり、これまでの人生と同様に計画性がまったくなく、また、購入した家そのものにも不満に思う点が多々あるので、家を買った人特有の「達成感」とか「高揚感」とか「満足感」といったものは、まったくと言っていいほど、ない。
日本人が一戸建を買う場合、何年も前から資金を貯めて、いざ購入が具体的になれば何ヶ月も前から地域や土地を吟味し、大半が新築だから、設計・施工も建築士とか施工業者とかを含めて悩みに悩み抜いて、そして家が少しずつ形になってきて・・・そういった数多くのプロセスを踏まえて住み始めるのだろうから、気分もまた格別なのだろう。
私には何もない。ただそれもまた、自分らしいかな、と思う。
酒をやめて良かったこと
今年の7月31日から、酒をやめた。
1度だけどうしても断れない飲み会があったので、その時に生ビール1杯とハイボール5杯を飲んだ以外は、一滴も飲んでいない。
なぜやめたかと言うと、単純に体調が悪くなったから。そこはかとない倦怠感が全身を覆い、電車で立っているのもツラいと感じる日もあった。今年の8月に一度もツーリングに行かなかったのも、体調が悪かったからだ。こんなツマラない人生、いつ終えてもいいとは思っているが、生き長らえている限りは健康でいたい。ただでさえ少ない稼ぎを、医者や製薬会社に貢ぐのはバカバカしい。
酒をやめて良かったのは、体調が戻ったのはもちろんだが、何より「痩せたこと」だ。5年前に1日2食にしてから順調に体重は落ちていたものの、70kgを切ることがどうしてもできなかったが、酒をやめたら、あっという間に66kgまで落ちた。
一時期、「酒はエンプティーカロリーだから太らない」なんてとんでもない大ウソが喧伝されて私もすっかりダマされていたクチだが、「アルコール代謝中は脂肪の燃焼が阻害される」というのは、医学界では常識だそうだ。
ただ、ブログは酒を飲んだ方が書きやすい。
日経新聞に「こころの健康学」というコラムを連載している大野裕氏によれば、「酒を飲んで楽しくなるのは、アルコールによって脳の働きが落ちるから」だそうだが、私の場合は、酒を飲んだ方がアレコレくだらない思いが浮かんでくるので、それを文章にすればいいからだ。
ちなみに、酒をやめる前に書いた記事の多くは、酒を飲みながら書いたものである。
たった2回のツーリングでもいい思い出になる
このブログはもともとツーリング・ブログなので (ま、今やすっかり、何でもありの雑ブログだが)、ツーリングのことも振り返っておこう。
今年、泊まりで行ったツーリングは、たったの2回だった。まずは、酒をやめてようやく体調が戻ってきた、9月初旬の秋田県。
そして、10月下旬の岩手県。
たった2回だし、このブログを書く目的のひとつである「ツーリングの感動を記事にすること」も、未だにできていない。つまり、満足のいく記事は未だに書けていない。
ただ、たった2回でも、他人に伝えることはできなくても、思い出はたくさんできた。
特に、秋田県の名も無い海沿いの道でたまたま見つけた「濤安の乙女」像は、青い空と海に向かって凛と立つ白亜の像の美しさと、その像に込められた深い哀切の願いが、今でも心に残っている。
このトシになると、気力的にも体力的にも (そして私の場合は経済的にも)、そんなにしょっちゅうツーリングに行けるわけではない。だから大事なのは、「何回行ったか」ではない。その場所に行って、どんな景色を見たか、「何を感じたか」なのだ。
「日々最良」に涙する年の暮れ
冒頭に書いたように、今年の仕事の“シメ”で最悪のトラブルが起きてしまった。
私の思慮の浅さが主因ではあるのだが、最後の最後になってそれが露見するという、最悪のパターンである。それにしても、なんでいっつもこうなっちゃうんだろうな?
最終営業日の28日夜、どんより暗く沈んだ気分のまま、風呂に浸かりながら日経新聞夕刊の「プロムナード」を読んだ。2016年の当該欄を締めくくるに相応しい、すばらしいコラムだった。恥ずかしながら、今期 (2016年7~12月) 水曜日を担当していた、稲泉連というノンフィクション作家のことはまったく知らなかったのだが、金曜日の東山彰良に負けず劣らずおもしろく、毎週とても楽しみにしていた。
半年間の連載の最終回は「日々最良」というタイトルで、ある親子との山登りでの出来事を綴った内容であった。ゴッソリ引用すると怒られるので、文脈を一切無視して最後の一節だけ引用する。
暖かな山道を下りつつ、彼の言葉が胸から離れなかった。
様々なことが起こり、明るい日も暗い日もある一日一日を、それでも「今日が人生で最良の日」と思いながら生きていけたら、どんなに素晴らしいことか。来年に向けて、そんな気持ちを抱いたからである。
- 2016年12月28日 日経新聞夕刊「プロムナード」
中古一戸建に引っ越して、数少ない「良かったこと」である広めの浴槽の中で、思わず涙した。今年も、あんまりいいことがなかった。どうしてこうも、うまく生きられないんだろうと思う。来年もきっと変わらないであろう、そんな日々の中を、どう生き抜いていけばいいのか。
「日々最良」あるいは「日々是好日」。いきなりそんな“悟りの境地”に達することができるとも思えないが、せめて1日のうちの数分間だけでも、「今日は人生最良の日だ」と心から思うことができれば・・・。来年とうとう迎えてしまう「齢50」にして、何かがいい方に変わるのかもしれない。
(敬称略)